一目で分かるイギリス留学

こうすることによって、その相手が自分のことや自分の関心事に言及しても、通訳にあたるこちらも「ははあ、あれのことだな」とピンときて、落ち着いて対処することができる。
通訳する際にキーワードになりそうな言葉は、当時私が「マジックノート」と呼んでいた手帳に書きつけておいた。 この手帳は、背広のポケットに入るくらい小さなもので、これに当時のIさんが関わっていた団体や役職の名称、Iさんの略歴や主著、会社の略史、Iさんが関心を持っていた幼児教育や東洋医学の専門用語などを項目ごとに日英両語対照で書き連ねておいた。
通訳する予定がある来客についても、同様のキーワード集を作っておいた。 この手帳を私はつねに持ち歩いて、通勤中の電車などで通訳の予習や復習に(またときには通訳中のカンニングペーパーとして)活用していた。
具体的にどういう言葉が出てきたかという話は、以降に譲る。 ただし、これは私のオリジナルな方法ではない。
サイマルアカデミーに通っているときに習ったことだが、プロの通訳なら似たような準備を怠りなくやっているそうだ。 私がIさんの通訳をやっていた当時は、会社の資料室や図書館などで調べるか、誰か詳しい人に聞くくらいしか方法がなかった。
相手に著書があったとしても、もう何年も前に出たものですでに絶版になっている場合もよくあった。 そんなときは、あちらこちらの大手書店に電話をかけて、在庫がないかどうか必死になって探し回ったものだ。
インターネットが普及した今日なら、たとえ紳士録に出ていなかったり著書がない人が相手でも、たとえばその人に関連するホーム・ページがあるならそれを見ておくだけで、経歴や関心事といった相手の背景も簡単に調べられる。 無名な私も最近、プロの産業翻訳者として業界誌などからインタビューを受けることがあるが、用意周到なプロのライターの方などは、私が開設しているウェブサイトにあらかじめざっと目を通してきて、実に効率よくインタビューをしてくださる。
このごろは便利な世の中になったものだ。 これは余談だが、私が好んで読む数少ない(?)漫画のひとつに、『ゴルゴ13』シリーズ(さいとう・たかを著、小学館)がある。

同好の士ならご存じだろうが、そのストーリーの中によく出てくるのが次のような場面だ。 物語の主人公・ゴルゴ13に会った殺人の依頼者が、依頼の背景を説明しようとする。
そのとき、超天才的な殺し屋である主人公は、その依頼人の言葉をさえぎって、相手のビジネスの内容から市場動向まですらすらとそらんじて見せるのだ。 「さすがはゴルゴ13、すでにそこまで調べてあるとは…」と舌を巻く依頼人…。
(もっとも見方を変えると、ただ知識をひけらかしているイヤな奴に見えなくもない)この漫画ではおなじみのこのシーン、何気なく読み飛ばしてしまう人もいるかもしれない。 しかしこれは、「プロ」なら仕事に着手する前に周到な調査をしておくものだ、という実に教訓的な場面なのだ。
話が少しそれた。 通訳のことに戻そう。
「戦後まもなくこういうことがあった」という古い話に対応するための準備としては、会社の創立40周年記念に社内で配布された社史本を熟読した。 幸いなことに、私は歴史物が好きだし、ソニー創業当時の苦労話はなかなか面白い。
「初めてテープレコーダーを作ったころはテープの材料がなくて、鉄粉を刷毛で紙のテープに塗り付けたものだ」といったエピソードは、ソニーの歴史を取材しにやって来た記者などには大いに受ける。 この類のストーリーも、あらかじめ英語に訳しておいて、いざ通訳する際には上手に語れるようにしておいた。
通訳している会話の途中で案外ひっかかるのが数字今年号だ。 たとえば、Iさん自身が話の最中に、「ええと、あれは何年のことだったかなあ」と言って話をぱたっと止めてしまうことがあった。

そのような場合も、前述した私の「マジックノート」が威力を発揮した。 略年表のページをさっと開いて、Iさんに小声で「何年です」と言いながら、返す刀で英語に訳す。
桁数の大きな数字などは、うっかりすると日本語でも言い間違える。 そこで、Iさんがよく使うような数字はすぐに英語で言い換えられるようにしておいた。
位取りにも工夫の仕方がある。 553億6千万という数字を英語で言いたいとき、fiftyfivebillion,threehureasixtymillionと言ってもけっして間違いではない。
しかし、通訳の最中などにこのような言い方をするのは冗長すぎる。 英語を使い慣れている人ならご存じだが、こういう場合はbillion(十億)を単位として、55・36(fiftyfivepoint,hreesix) billionと言うほうが簡潔になる。
万、億…と位があかつていく日本語を、thousand(千)、million(百万)、billion(十億)の単位であかつていく英語に変換するのはたいへんそうに見えるが、慣れてくると反射的に正しく変換できるようになる。 そのほかにも、通訳している最中には、通貨単位を円からドルに換算したり、昭和△年を西暦19××年に換算したりというワザを瞬時にやってのけないといけないが、これも同様に、主だった換算式を手帳に書いておくなり暗記しておくとよい。
そうこう工夫をしていくうちに、慣れも手伝ったのか、曲がりなりにも通訳の仕事を何とかこなせるようになってきた。 要は「習うより慣れろ」だったのかもしれない。
通訳を使う側のコツここで、通訳としての私の経験から、通訳を上手に使うコッをふたつみっつ書いておこう。 話し手は、ゆっくりと、わかりやすい言葉で話してほしい。
意味不明瞭な言葉を延々と繰り返す人がいるが、こういうのは論外。 それから、話を区切る単位について。
通訳を使い慣れている人なら心得ているものだが、たてつづけに5、6分も話してから「さあ通訳してください」と言うと、通訳をするほうはたいへんだ。 いくらメモをとっているといっても、通訳のメモはたいてい、速記に近いものに過ぎない。

かつての私のように不慣れな通訳の場合は特に、少し時間が経つともう自分でも何を書いたのか忘れてしまう。 逆に、文をひとつ話すたびに「さあ、今言ったことを通訳してください」と言われても困ってしまう。
話し手の言わんとしているところがほとんど見えないまま、ゼフゼフな言葉だけを通訳するのは無理だ。 理想的には、一段落(文にして2、3から5、6個)くらいまとめて話してから通訳させてもらえるとありがたい。
また先ほども書いたように、良い通訳をするために「予習」は不可欠である。 これはプロもアマも同じことだ。
「プロなんだから、そんなものはなくてもその場で何とかできるだろう」と誤解している向きもよくあるようだが、それは違う。 通訳が予習できるような準備資料や参考資料があれば、それを渡しておくか、その資料の入手先を教えてあげるという配慮をしてもらえると、通訳にあたる側でも怠りなく準備ができるし、従って良い仕事ができる。
幸いなことに、私を通訳として使っていたIさんは、ここに書いたようなことはほとんど全部心得ている人だった。 若造が作る創業者のスピーチ。

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